2006年 11月 29日

大半の人は仕事して生活してる。

生活のためにお金が要るから、仕事してる。
その中の一部、仕事が生きがいの人、生きがいじゃなくても楽しい人は幸せでしょう。

でもそうでない人達もすごく多いですよね。
そういう人たちにって、人生の時間は楽しくない部分が大半で、
ほんのわずかな休日、ほんのわずかな自分の時間を得るために
その他大部分の時間を楽しくも無い仕事に費やしてるわけです。
最初から休日や趣味等の小さな自分時間のために働いているのに、
休日を満喫して「仕事に行く元気が出た」とか、「いつも仕事なんだからこのくらい楽しみがないと」とか
もうすでにそれ自体が大きく矛盾してるんじゃないかと思うんです。
ま、でも結局働かなければ生活できませんから、
多くの人はそういうことを感じながらも働いているわけですけれども。
生きるために働くのは、人として以前、生物の枠で見ても当たり前のことなのですけれども。


なぜ「たまたま死ななかったから」程度の理由で生きてるに過ぎない私が
働いてまでわずかな自分の時間を得る努力をする必要があるのか?
まわりにかけた迷惑や、まわりから借り受けた金銭。
それらを生きてる間に返すことに、いったいいかほどの価値があるのか?
「他人に迷惑をかけてはいけない」「借りた恩は返さなければ気がすまない」
そういう、自分の性格的なものも含めた「当たり前」すらも
「たまたま生きている程度」と自分を認識してしまった瞬間、
意味を持たなくなってしまったように私には思えるんです。
別に判りやすく無気力人間と言い換えてもいいんですが。



父の笑顔が思い出せなくなってることに最近気づいて以来、ずっと思ってます。
最初にそう思い至ったところまで遡れば、それはかなり昔からなのですけれども。



たまたま死ななかった程度なのなら、だったら今死んでもいいじゃないかと思うわけですね。
ぼくは新世界のネオニートになる!って遺書残したらなかなか面白いことになりそうな気がします。
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by goukasoshina | 2006-11-29 23:07 | 最速の日常


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